100万年後のあの場所で君とまた出会いたい
第一章 1000001回目の出会い
今日も一人と部屋で目を覚まし、一人の、食卓でご飯を食べ、誰もいない部屋に、さよならを告げる。
苦しくはない。悲しくもない。ただすべてが
“どうでもよかった“
何のために、誰のために、私は現在(いま)ここにいるのか。何を求めて、何を信じて、終わりのない命を繋いでいるのか。
すべてがどうしようもなくわからない。
『生きてさえいれば、いつか幸せだと思える日が、きっと来る。』
『辛いことがあったら、その分、幸せだった日々を思い出すといい』
いつか、誰かに言われた言葉が私の鼓膜に虚しく響いた。
いろんな時代のいろんな国で生きてきた。様々な人と出会った。犬を飼い、猫を飼い、蝶を飼った。
怖くて眠れない夜もあれば、死にたいと嘆く夜もあった。でも、そんなことは許されていないのだ。
誰が、とは言わない。自分の奥底に眠った「記憶」は、引きずりだしても思い出すことが出来ないほど、重く鉛のように私の心にのしかかっていた。
いつも通りの朝が来る。私は今世では十七歳の高校二年生。生まれて消えてをずっと繰り返している。私は“死ぬ“のではない。
もともとこの世界にいなかったもののように
“消える“のだ。昔、透明人間になりたいと思ったことがある。みんなには見えない自分が自由に、透明に楽しんでいる姿が瞳の奥に映るのだ。
誰にも邪魔されず、自分の思うままに生きる人に私はまだ出会っていない。
学校へと向かう坂道を重い足取りで登っていく。今は夏だというのに、少し肌寒い。私は半袖の制服から出ている腕を摩りながら、路地裏に寄り道をする。
私の足音に気づいたのか、どこからか白くて綺麗な毛並みをした猫が現れた。
「ミャァーン」
鈴のような鳴き声をあげて、私の足元に頭を擦り付けてくるその猫はユユという名前だ。もちろん私がつけた。
何となく毛糸のような毛並みをしていたからユユ。漢字で書いたら「結々」かな?
自分で言って何だけど、私はこの名前が可愛くてユユに似合っているなと思う。
「ユユ、今日はね…」
そう言いながら私は通学カバンの中から、家で煮つけてきた秋刀魚(さんま)を取り出す。ユユはそれを見て嬉しそうに鳴いて、モグモグと食べ始めた。
「ユユ、おいしい?」
ユユが夢中になって食べていることから、おいしいのだろうなと思う。私はユユの柔らかな毛を撫でながら、思わず口元が綻んでしまっていることに少し驚いた。
自分はもう、何かに心を動かされたりすることはないと思っていたから。
ユユと一緒にいる時だけ、私は少しだけ幸せを感じられた。最初に出会った時のユユは、掌(てのひら)に収まるほど小さかったのに、今ではもう大人の猫のように大きく育ってくれた。
生命の成長を見て、私が思うことは何だろう。
それが悲しみや憎しみであったとしても、きっと大切な感情、心の一部だ。
私が物思いに耽って(ふけって)いると、突然後ろに人の気配がした。それはゆっくりと足音を立てて、どんどん私に近づいてくる。私は思わず、身を縮めた。
「ねぇ…、何してんの?」
後ろを振り向くとそこには、驚くほど綺麗で整った顔をした、私と同じ高校の制服を着た男の子が立っていた。
私の顔を見ると、その人は驚いたような表情をした後、またすぐに無表情に戻った。
私と彼の間に沈黙が訪れる。でもなぜだろう。今はこの沈黙が私の心に心地よく響いた。
「その猫…、もしかしてお前が飯やってたのか?」
そう聞かれたので、頷く。もしかして、この人はユユのことを知っているのだそうか。
「そうだったのか…。お前、いいやつだな」
そう言って彼がニカッと笑ったので、私は目をぱちくりとさせてしまった。太陽のように眩しくて、温かくて、優しい笑い方を、彼はした。
この人、こんな風に笑うんだなと少しくすぐったい気持ちになりながら、私も彼に笑いかけていた。
嘘ひとつない、本音の笑いだった。作り笑顔なんかじゃない。きっと思わず微笑みを浮かべてしまったような顔をしていたのだろう。
「お前、そんな笑い方出来たんだな……」
気づかぬうちに彼の口から零れてしまったのだろう。彼は少しハッとした顔をして、何でもねぇ、と困ったように笑っていた。
「俺、春野蒼佑(はるのそうすけ)。今日から青山学院高校の二年生だ。お前は?」
「私は水無瀬波琉(みなせはる)って言います。私も今日から青山学院高校の二年生ですっ!」
なぜか語尾に気合が入ってしまった。彼と同じ高校。彼と過ごせるかもしれないという気持ちが、期待とともに膨らんでいく。
「じゃあこれからは波琉って呼ぶ。俺のことは蒼佑って呼んで」
今まで誰とも話してこなかった、向き合ってこなかった私が彼と友達のように打ち解けて話をしている。
「わかった、蒼佑…ね」
男子を名前で、しかも呼び捨てで呼ぶなんて初めてだから心臓がドキドキしすぎて少し痛い。
ユユはご飯を平らげ、グーグーと喉を鳴らしてて気持ちよさそうに眠っている。
「この猫ってさぁ、何か名前とかあんの?」
「うん。一応、私が勝手につけたユユって名前があるけど……」
「ふっ、なんでそんな自信なさげな顔してるんだよ。波琉とユユ、似てんな。纏ってる雰囲気とか…、すぐに目の前からいなくなってしまいそうなところとかも全部」
蒼佑は時々、といってもまだ出会ったばかりだが何もかもわかっている、理解している、全てを知っているような口振りで言葉を発することがある。
それがどうしてなのか、私はまだ、聞けずにいた。
100万年後のあの場所で君とまた出会いたい
序章 命の灯
私はいつ、終わるのだろう。
『自分はもう、これから永遠に、何かに心を揺るがされたり、大切なものが生まれたりすることはないのだろうと。思っていた。』
(引用:100万回生きたきみの七月隆文さんの言葉)
朝の空、昼の空、夜の空を見る度に綺麗だと思えなくなったのはもう、いつのことだろう。
人を心から信じて、心から笑って、毎日が眩しくて仕方がなかった、ずっと大昔の頃にはもう、戻ることは出来ない。
朝日が昇り、部屋いっぱいに満ち溢れた光が意地悪く、私の
1000001回目の人生を迎えているようだった。
あの結晶の春を君とまたもう一度
第五節 明々の灯火
事故が起き、もうすぐ3週間が過ぎようとしていた。僕がタイムループした日に近づいてきていたのだ。これで、……もうこんな想いをすることはないのかな。いつか、有名な外国人哲学者が言っていた言葉だ。
『現実は一度きり。時間も一度きり。運命も一度きり。だからその運命を変えることなど、犯罪と同じなのだ。』
僕はその言葉を見た瞬間、疑問が芽生えた。運命を変えることは許されない、その言葉に引っかかった。犯罪者はもうやり直せない、何故ならもうそこで運命は決まっているからだ。そう言っているのと同じじゃないか。違う、違うんだ。人は何度だってやり直せる。過ちを犯した人間は、ずっと檻の中にいなければいけないのだろうか。きっと、そんなことはない。人はいつだって自分の力で運命を変えてきた。一度だって時間の流れで決まってきたんじゃない。
だって、そうだったら悲しいじゃないか。苦しいじゃないか。僕は僕の意思で、自分自身がしてきた選択で、今ここにいる。それが間違っているなんて思わない。最初から運命だからと諦めていたら、今ここに雪希ちゃんはいなかったはずだ。時空を超えて、他人の運命を変えてしまったのは今でもすごく後悔している。でも雪希ちゃんを助けられたことに悔いはない。
会いたい、雪希ちゃん。今、すごく不安で不安で仕方ないんだ。僕は家を出て、隣の雪希ちゃんの家に向かった。
ピーンポーン……
家のインターホンを押して、応答を待つ。
「はーい…。あ、優くん」
ニコッと可愛く笑って、雪希ちゃんが僕を家の中に招き入れる。
「お邪魔します…」
そう言ってから入る。広い玄関には高い天井からシャンデリアがぶら下がっている。
「あ、そうだ!優くん、さっきお母さんがね、ケーキ買ってきてくれたの!一緒に食べよ」
うん、と頷く。雪希ちゃんは人を幸せにさせる天才だなぁ。雪希ちゃんの笑顔が好きだ。泣き顔も好き。でもそれは嬉しくて泣いた顔だったらいいな。雪希ちゃんは、雪希ちゃんにだけは幸せでいてほしい。そしたら僕も幸せだから。
「雪希ちゃん……今ね、僕…すっごく幸せ」
そう言ってから、微笑む。その途端、雪希ちゃんの唇がワナワナと震え出した。そのほっぺたはどんどん赤く染まっていく。不思議に思って一歩近づくと、雪希ちゃんが突然叫んだ。
「む、無自覚!天然!」
そう言って、雪希ちゃんはそっぽ向いてしまった。む、無自覚…。て、天然…?並べられた悪口に近いものに僕は愕然とする。
「ひ、ひどいよ。雪希ちゃん…」
まさか自分がそんなふうに思われていたなんて…。そんな自分を叱咤する。
「ぬぬぬ…」
雪希ちゃんは唸って、キッチンの方へ行ってしまった。ぼ、僕何かしたかな…?雪希ちゃん、顔真っ赤だったから起こってたんだろうな。そのことに僕はだらんと腕を落とす。僕はノロノロとキッチンに向かう。そこには、まだ赤い顔をしてプンスカしている雪希ちゃんがいた。
「ゆ、雪希ちゃん…?僕、何か嫌なことしちゃった…?」
お得意の涙目で雪希ちゃんに訴えかける。僕は雪希ちゃんがこの瞳に弱いことを知っている。
「ち、違う!怒ってなんかないよ…。た、ただ優くんが恥ずかしいこと言うから、」
そこで雪希ちゃんは息が詰まったように口を閉じる。僕はその言葉に安心して、思わずホッとした笑みが浮かんだ。
「そうなんだ、良かった。でも僕、恥ずかしいことなんて言ったかなぁ〜」
そう言ってから本気で悩む。思い出そうとすると、雪希ちゃんが慌てて止める。
「も、もういいの!ほら、もうケーキ準備出来たから!」
雪希ちゃんに背中をぐいぐい押されて僕は、ソファに向かう。すとん、と柔らかいソファに身を委ねる。雪希ちゃんはテレビをつけて、何かDVDを入れる。
「優くんが好きなホラー映画借りてきたよ。一緒に見よ」
「うん!」
恐ろしすぎる効果音と共にゾンビが画面を割るように登場する。雪希ちゃんは、隣でキャッと言いながら楽しんでいる。雪希ちゃんも実は大のホラー映画好きだ。二人で怯えたり、楽しんだり、笑ったりしていたら、あっという間に時間が過ぎて行った。
「じゃあね、雪希ちゃん」
「うん、ばいばい」
玄関で雪希ちゃんと別れて、僕はある所へ向かう。本屋だ。僕は映画を見るのは好きだけど、本を読むのはもっと好きだ。ウキウキとした足取りで、本屋へ向かう。今日は何を買おうかな。やっぱり、推理とかサスペンスかなー。そんなことをのんびりと思いながら、本屋へ入ると、ぱっと目についたのは『赤崎雄大』の文字。聞いたことない作家さんだな。僕は少し気になってその人のBookコーナーへ向かう。その途端、目に入った文章に全身が固まる。
『時は、望むものには巻き戻すことができる。運命は変えることは出来ない。でも、それを変えたいものにはそれなりの試練が与えられる。頑張れ、胸を張れ。他人の運命を変えようが、愛しい人を救えるのならそれで満足だ。時空を超えて争ったあの冬を忘れないーーーーーー。』
まるで僕自身の声のようだ。この作家さんはどんな人なのだろう、と必然的に思った。この人はまるで、自分がした経験を描いている気がして気が気でない。そんなことありえないのにな、と一つの作品と向き合う。題名はーーーーーー、
『あの結晶の春を君とまたもう一度』
素敵な題名だ。僕は思わずその本を手に取って、帯を見た。
『僕は何度だって君を救うために、時間を巻き戻す。君との春を僕は一生忘れないーーーーーー』
その言葉が僕の体の中にある“心”を揺るがす。
買おう、そして同時にこの人に会ってみたいなと思った。
あの結晶の春を君とまたもう一度
第4節 紅色の君
「キャーーーー‼‼」
ガっシャーーーーンッッ!という爆音が聞こえた直後、女の人が叫ぶ声がする。
「誰か、誰か、助けて‼どうか彼を……!…ああ、そうだ、救急車。救急車を呼んでちょうだい!早く!」
地面にぐったりと横たわる青年。その青年の頭から溢れんばかりの血が流れ出るのを、女の人は小さなハンカチで必死に押さえている。僕はその光景に息をするのを忘れてしまっていた。
ああ、僕は――僕は、自分勝手の行動で誰かの運命を変えてしまったんだ。
どうして、どうして、どうして――‼何でこんなことに⁉事故が起こるのはあの公園の自販機だったんだ。でもそこでは何も起こっていないということか?それともそこでも事故は起きているのだろうか?僕はその瞬間、背中から何かが這いのぼてくるような寒気と気持ち悪さがあった。だとしたら、もしそうだとしたら――。トラックの運転手の潰れた上半身、地面に横たわってビクともしなかった雪希ちゃん。きっと今、そこでも事故が起こっているのなら、きっとそこには誰もいない。行かなきゃ、僕が……!
「雪希ちゃん、僕、行かなきゃ――!」
そう言って、僕は全力で走り出した。その後ろを雪希ちゃんの呼ぶ声がする。ごめん、雪希ちゃん。こうなったのは全部僕の所為なんだ。全部全部、僕の所為なんだ。必死に必死に走った。僕が突っ立っている間、死ぬほどの痛みに耐えて地面に転がっている若い女に人がいた。
「ああ、ああああああーーーーーー!!!!」
絶望にも似た僕の絶頂が小さな公園に木霊する。僕は女の人に駆け寄り、身体を揺すった。女の人からの反応はなかった。息も、……していなかった。
「あああああああ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっっ!!!」
ただ、誤ることしかできない。恐怖に似た感情が僕をどんどん浸食していく。身体が地面に縛り付けられる。僕は、僕は。――ただの人殺しだ。
「優くんっ!!」
そんな優しい声で、僕の名前を呼ばないで。人殺しの僕を、何の穢れもない瞳で見つめないで。泣きそうになるから、自分を呪ってしまいたいほどに自分が嫌だから、嫌いだから。
「雪希……ちゃ…ん」
かろうじて発した僕の声は、情けないほどに掠れていた。
「優くん、どうしたのっ!――た、大変!救急車、救急車呼ばなきゃだよ!!」
そう言って雪希ちゃんはすぐに『119番』を鳴らし、事故のことを正確に伝えていた。謝ることしか頭になかった僕は、雪希ちゃんの行動に呆気にとられる。ああ、自分が不甲斐なくて仕方がない。僕は自分で自分を自嘲する、見下する。
「ゆ、雪希ちゃ……っ!どうしよう、ねえ。どうしたらいいのっ⁉どうしたら僕は――!」
「優くん‼落ち着いて!大丈夫だから、ね?もうすぐ救急車も来るよ!運転手さんも女の人もきっと助けてくれるからっ!」
恐怖に震える僕の肩を、雪希ちゃんが優しく優しく包み込むようにして抱きしめてくれる。僕は思わず、雪希ちゃんの背中に手を回す。強く強く、しがみ付くようにして。でもその小さな背中が僕以上に震えていることに気が付いた。
「雪希、……ちゃん。だい、丈……夫?」
雪希ちゃんは首を縦に振った。
「大丈夫!でも今は優くんを守ってあげなきゃ……!」
無理矢理出されたような、不安を押し潰したよな、妙に明るすぎる声。いつも、そうだったね。僕は小さいころから泣き虫だった。いじめられて、草陰に隠れて孤独を押し潰すように泣いていた僕を、雪希ちゃんはいつも簡単に見つけてくれた。そして僕の涙が止まるまで、大丈夫だよ。雪希がいるよ、と言って背中を優しく擦ってくれていた。雪希ちゃんは春の光のような温かな存在で、僕のヒーローだった。それを言うと雪希ちゃんは可笑しそうにケラケラと笑っていた。
『でもヒーロー男の子がなるものでしょ?雪希が優くんのヒーローだったら女の子がヒーローになっちゃうよ!でも優くんは私の泣き虫ヒーローだねっ!』そう言って笑った君に着いていこうと思った瞬間だったんだよ。雪希ちゃんを守れる泣き虫ヒーローなんかじゃない、強くて勇敢なヒーローになろうと思った瞬間だったんだよ。
「雪希ちゃん、ありがとう。……雪希ちゃんはやっぱり僕のヒーローだ」
そう言って笑った僕の笑顔は、きっと歪んでいただろう。君がいてくれてよかった、出来ることならずっと君の隣で笑っていたい。でも、それは叶わない願いなんだろうか。今日で分かった事がある。公園から離れ、別の場所へ行った。でもそこでも事故が起きた。僕があの時、雪希ちゃんを止めていなかったらきっと死ぬのは雪希ちゃんだったはずだ。
神様は僕に何をさせようとしているの?過去に戻れたとしても、そこでも容赦なく雪希ちゃんを傷つけようとする。そんなことに意味はあるんだろうか。
「私のヒーローは優くんだよ。昔から……」
「……え」
雪希ちゃんの発言に思わず言葉を失った。
「ほら、今だって私のこと抱きしめてくれてる。ほら、震え。止まってるでしょ?」
優くんのおかげだよ、と瞳が訴えているような気がした。遠くから救急車のサイレンの鳴る音が聞こえてくる。雪希ちゃん、君の隣にいると信じれないくらい心が落ち着くんだ。どうにでもなるやって思えるんだ。だから君はずっとずっと僕の光でいてね。
20××年 2月15日
『昨日、2か所の自動販売機付近で事故が起こり、4人が極度の重症を負いました。そのうちの三人、23歳の照山景子さんと26歳の仲野来夢さん、そして車を運転していた30代後半と思われる男性は重傷を負いましたが、命に別状はないということです。
ですが、桜山公園で起きた飲酒運転をしていた56歳の男性は死亡が確認されました――。』
これでニュースを終わります。どこか機械的な感情のこもっていない報道が終わり、僕はストンと腰をソファに下ろした。一人、死んだ。その事実が一番ましだった気がした。本当はこの日、ニュースでは二人の死亡者が出たと言っていた。でもそれがなんだ。結局同じ日を繰り返せても、運命が変わらずに死んでいったトラックの運転手。飲酒運転という悪いことをしたおじさんだけど、その人の周りの人はきっと今、つらいだろう。だから僕もその人の死を忘れないように生きていく。それがせめてもの何もできなかった僕からの償いだと思って受け取ってほしい。
ピーンポーン……
家のインターホンが鳴った。僕は階段を下りて、玄関へと向かう。そしてガチャリと扉を開けた瞬間、何かが僕に抱き着いてきた。突然のことに驚き、固まってしまった。
「うう、ぐすっ……。優くーーん!良かった、良かったよ……」
その“何か”の正体が分かってしまった瞬間、僕の頬は一瞬にして赤く染まった。雪希ちゃんだ。なぜ分からないけれど、僕の腕の中で泣いている。僕は戸惑いながらも雪希ちゃんの頭を優しく不器用に撫でる。
「ゆ、雪希……ちゃん?大丈夫…?」
いまだに何が起こっているのかあまり理解していないけれど、とりあえず言う。
「事故、一人死んじゃったっ……!で、でも……ぐすっ、さ、三人は助かったって…!」
そう悲しそうに、でも嬉しそうに伝えてくれる君が愛しい。
「うん、知ってる…」
「あ、あれ…?ゆ、優くん。も、もう大丈夫……?」
不思議そうに尋ねてくる君に、僕は満面の微笑みを浮かべられていただろう。
君が何度死のうと、僕は時を戻して君を助ける。離れていこうとしても、僕が掴んで離さない。
二人で過ごした2月15日は、僕にとって幸せなものになった。
――窓から差し込んでくる淡いけれども眩しい光が、僕たちを包み込むようにして照らしてくれていた……。
あの結晶の春を君とまたもう一度
第三節 晴れ模様の君
20××年2月12日
雪希ちゃんが事故に合って死ぬ二日前ーーー。本当にこんな事ってあるのだろうか。でも、ってことは僕はタイムループをしたってことになるのだろうか。正直、今はまだ実感が湧かない。とにかく、雪希ちゃんが今もまだ生きているということを確かめてみなければーーー!
僕は制服のシャツに腕を通し、制服に着替えた。その後は顔を洗い、自分で朝食の準備をしてから食べる。なんだか過去に戻ってきたはずなのに僕はどうしてこんなにも冷静でいられるのか。それはほぼ明確だった。僕がタイムループをする前、ガラス玉が宙を浮いて動き出したからだろう。僕は急いで朝食を口に詰め込み、雪希ちゃんの家を目指す。
ピーンポーン……
雪希ちゃんの家はそこに雪希ちゃんがいると証明してくれているように生き生きといていた。
「はーい」
鈴のようになる可愛らしい声……ああ、神様はそれほど悪い人ではないのかもしれない。正直言って雪希ちゃんが死んでしまってからは、行き場のない怒りや憎しみを〝神様〟という存在にただひたすらぶつけてきたのだから。ガチャリとドアの開く音がして、可愛い顔がドアから僕のことを覗いている。
「雪希、…ちゃん。」
「…?どうしたの、優くん。なんか元気ない?」
雪希ちゃんが心配そうに顔を伺ってくる。愛しい人、僕が愛してやまない人、一番大切な人。
「会いた、…かったよ」
必死に声を絞り出す。雪希ちゃんは不思議そうなでも少しおかしそうな感じで「私も」と小さく言った。
「もー、優くんはほんっとに寂しがりやだな〜!昨日会ったばかりじゃない!」
雪希ちゃん、僕は3週間くらい君に会っていなかったんだよ。その間どれだけ寂しい思いをしたか。でも君にこんな思いさせたくはないから神様が僕に試練を与えてくれたことには感謝している。
「うん、…っそうだね」
だから僕が君を救うから。君との未来を僕が創りたい、いや絶対に創り開いてみせる。
2月14日、君はきっとまた事故に遭う。だからあの時のたられば話をすべて現実にできたら君を救えるはずだ。
「雪希ちゃん、もう学校に行く準備は出来た?」
「うんっ!」
笑顔で答えた君の笑顔がこの世界から消えないように、僕は見失わないように例え何度失敗したって諦めたりはしないよ。もうすっかり春だ、とは言い切れないことに不思議な気持ちを覚える。きっと過去に戻っていなければ今頃は暖かくなる春の季節だろう。
「雪希ちゃんは、冬の終わりは好き?」
僕の嫌いだった季節を君が好きだというのなら、僕の一番好きな季節もきっと冬の終わりだになるのだろう。
「うんっ!大好きだよ!冬の終わりは雪解けが綺麗だから」
そう、幸せそうに言った君の好きな季節にこの世界から君の息が消えないように。君の灯が消えて見えなくなってしまわないように。君の好きな季節が他の誰かにとって、周りの人達に取って悲しいものに、思い出したくないようにならないように。
「僕もね、雪希ちゃんと一緒だよ」
優しく、大切に伝えたい。そう思った僕の心に嘘はないから。嘘つきにならないように。
「私ね、優くんが隣に居てくれて嬉しい。優くんは私に取っても皆んなにとっても太陽のような人だから」
「…あり、がとう」
褒められることが苦手だった僕だけど、君に褒められるならどんな言葉でも受け止められる。僕は雪希ちゃんバカかな?ふふっ、きっとそうだね。一人、雪希ちゃんへの想いに戯れていたせいか雪希ちゃんが心配そうに「ねぇ、優くん。やっぱり今日ちょっと変だよ?大丈夫?」と言いながら僕のおでこに手を添える。
その瞬間、僕の頬がカッと熱くなる。恥ずかしい、嬉しい、切ない、苦しい。色々な想いが矛盾にも交錯する。
「や、やだ!優くん顔赤いよ‼︎やっぱり熱があるんじゃ……」
「雪希ちゃん、大丈夫。雪希ちゃんに触れられてちょっと恥ずかしくなっただけだから」
雪希ちゃんの腕を次は僕が掴む。そしたら今度は雪希ちゃんがボッと赤くなる番だった。
雪希ちゃんの反応を見ていると、ちょっとは期待してもいいのかなって気持ちに陥る。雪希ちゃんも僕と同じ気持ちだって分かっていれば、告白できていたのに。でも僕は臆病だから、雪希ちゃんが他の人に気持ちがあるなんて知りたくないから、告白はしない。
それからあっという間に2日は終わり、とうとう今日、2月14日になっていた。前と同じ、外に出た途端に感じる寒くて少し遅いホワイトバレンタイン。テレビでは例年がないホワイトバレンタインになると報じられていた。僕は今日、公園に雪希ちゃんから呼び出されていたのだ。自分の吐息が白い湯気となって消えていく。空からはパラパラと雪が降ってきている。そう言えば、雪希ちゃんが病院に運ばれてから、雪希ちゃんの親御さんと手術の無事を待っている時はこんな雪希じゃなかった。こんな風に僕を包み込むように優しく降ってはくれなかった。暴風雨ならぬ防雪風だ。雪希ちゃんは、その名前に似つかわしくない雪の吹き荒れる日に亡くなったのだ。
「優くーーん!」
遠くから僕を呼ぶ可愛らしい声が聞こえてきた。僕は雪希ちゃんを暖かく迎える。
「待ってたよ、雪希ちゃん」
そう言って優しく微笑む。顔がこわばっていなかっただろうか。
「雪希ちゃん、用事はこの公園じゃないところにしよう。寒すぎる」
なんとかここを去れば、雪希ちゃんは死なないかもしれない。だから…
「うん、いいよ。寒いもんね」
その返事に僕は希望を覚えた。それから僕は比較的暖かい店の並ぶところまで来た。
「優くん、私あったかい飲み物買ってくる。優くんは?」
そのセリフに恐怖を覚える。でも瞬間にその考えを消す。大丈夫だ、ここはあの公園じゃない。
「じゃあココアをお願いしようかな」
「分かった!ちょっとだけ待っててね」
去っていく君の背中を見つめる。どうか、戻ってきてね。君がどんどん離れていく。ああ、不安で不安でどうしようもない。僕の足は勝手に雪希ちゃんを追いかけるように動き出していた。雪希ちゃんの背中が近づく。
「雪希ちゃん……‼︎」
大声で雪希ちゃんの名前を呼ぶと雪希ちゃんが驚いたように目をまん丸にして振り向いた。
僕は雪ちゃんの手を両手で握る。
「雪希ちゃん、雪希ちゃんっ……‼︎僕から離れていかないで!」
僕の声が悲痛な、苦しげな声に変わっていた。
「優くん、落ち着いて!私はここにいるよ」
雪希ちゃんが少し戸惑いながらも僕を落ち着かせてくれる。
その瞬間ーーーーーー、
ガッシャーーンッッーーーーーー!‼︎
近くで何か大きな音が鳴り響いた。
「た、大変だーー!人が、人がーー!」
誰かが叫んでいる。次々と人がその大きな音が鳴ったところに集まっていく。僕はその光景を見た瞬間、息をするのを忘れていた。
そこにはーーーーーー
トラックが思いっきりカーブした生々しい跡と、潰れてしまった自販機。そして、誰か知らない人から流れ出る大量の血が地面を濡らしていたーーーーーー。
あの結晶の春を、君とまたもう一度
第一節 残雪
どうして、こんなことになってしまったんだ…っ。どうして僕は今、ここに居るんだ。
「はぁっ、はぁっ…雪希…っちゃん!」
動悸がどんどん激しくなっていく。息が上手く吸えなくなっている。いくらもがいたって、酸素が身体に届くことはないし、現実が夢となって消えていってくれることもない。
「どうして、どうして、どうしてっ…!」
どうして、雪希ちゃんはっ…ーーー!
死んでしまったんだーーー。
20××年 2月14日
幼馴染だった雪希ちゃんは飲酒運転をしていた大型トラックと事故に遭い、死んだ。雪の降る、少し遅いホワイトバレンタインになるはずだった。
「優くん、私ココア買ってくるよ。優くんは何か欲しいものある?」
どうしてあの時、「僕が代わりに行く」と言わなかったのか。
「じゃあカフェオレ」
どうしてあの時、「僕も一緒に行く」と言わなかったのか。
「うんっ、分かった!ちょっとだけ待っててね」
どうしてあの時、僕は雪希ちゃんを引き止めなかったのか。
ゴゴゴゴゴーーー……。
どうしてあの時、少し運転が荒っぽいトラックをこれ見よがしにして、雪希ちゃんの元へ行かなかったのか。
全部、全部僕が行動に移せていたら、雪希ちゃんが死ぬことはなかったのかな。僕が一緒にいれば、少しでも未来は明るい方向に向いてくれたのかな。
好きだったんだーーー、あの鈴のように可愛らしく笑う顔とか、両腕いっぱいの花束のような優しくて綺麗な心も。雪希ちゃんが好き、大好きだ。だからこんな失恋の仕方は耐えられないよ。
やり直したい、出来ることなら…。でもやり直せない。僕が今どんなにどん底に落ちていこうと世界は明日も、僕を通り過ぎることなく動いていく。
「あああああ〜〜〜〜っっっ…‼︎」
だからどうか、今は思う存分叫ばせて。世界の裏側にまで響く声で絶望させてよ。
そうじゃないと、心が削られていく気がするんだ。心にぽっかりと大きな穴があるような気がして、叫ばなければ虚しさは埋まってくれない。心も消えることはない。
雪希ちゃんがいない今の僕は、こんなに何もない人間だったんだと今、思い知った。
第二節 春来
冬は嫌いだ。特に冬が〝終わる〟時が一番。朝になると思わず目を細めてしまう陽光に、雪がキラキラと輝く。春が近づくにつれて、雪解けは止まることなく進む。久しぶりに外に出て、世界の美しさとそして残酷さにまた、絶望する。何度も思った。
“死のう”と。
でも死ねなかった。いざ死のうと思っても自分で自分を殺すなんて恐ろしくなって、結局死への手は止まる。きっと、来年の春も僕は今のままでずっと殻に閉じこまる貝のようになるのだろう。いや、貝はきっと毎日一生懸命生きているだろう。僕みたいに毎日を無駄にして、ただ息を潜めるだけの生き方なんかしない。
僕はベットから降りて、鍵の掛かった箱に近づいて鍵をガチャリと開けた。カーテンの隙間から刺す、淡い光に〝それ〟が煌めく。
僕は大事に壊さないように〝それ〟を手に持つ。それは雪希ちゃんのネックレスに埋め込まれていた雪の結晶が入ったガラス玉だった。
「雪希ちゃん……」
このガラス玉は僕が雪希ちゃんにプレゼントしたものだった。それを雪希ちゃんは今までずっと身につけてくれていて、それを見る度僕は微笑んでいた。
ガラス玉を光にかざしてみる。キラリ、と中の結晶が輝く。その途端、ガラス玉に異変が生じる。ガタガタと僕の手から逃れるように激しく動き出した。突然のことに驚き、思わず手を離してしまってからしまった!と思った。
ガラス玉は不思議なことに一人でに家の玄関の方へと飛んでいった。僕は急いで階段を駆け降り、一人でに開いた玄関のドアの隙間を通り抜けるようにして逃げていくガラス玉を、靴も履かずに追いかけた。
どこかの坂道、どこかの八百屋、どこかの踏切、どこかの公園。ずっとずっと逃げていくガラス玉を止まることなく追いかける。なんとなくだけどガラス玉は海の方は進んでいる気がする。けれどそんなことはお構いなしに僕は走り続ける。だってあれは、僕が雪希ちゃんの次に大切だと思っていたネックレスの一部なのだから。なくなったら困る。無我夢中で走り続け、海の港がすぐそこに見えていた。ガラス玉がどんどん速度を落としているのに気付いた僕は、今よりも一層走る速度を上げ、ようやく追いついたガラス玉はを思いっきり掴んだ。でも、僕の足はもう地面にはなかった。
「う、うわぁぁぁぁ〜〜⁉︎」
ドッバーーーーンッッ‼︎!‼︎
僕は思いっきり、海に飛び込んだ。水中で僕の身体はひっくり返る。その途端、驚くべきことが起こる。手の中に入っていただろう結晶のガラス玉が僕の目の前で妖しく光っていた。その光景を凝視していると、目の前が暗くなっていった。
何も見えない、何も聞こえない、息がしやすくなる。その時、パッシャーンという効果音が付きそうなほどの教会のステンドグラスに僕と雪希ちゃんが映っている。二人とも幸せそうに微笑みあっている。ああ、あの頃に戻りたい、戻って何もかもやり直したい。今、そう強く思った。瞳から涙が零れていくのが頬が濡れていくので分かった。
強く願った瞬間、目の前が真っ暗から何もかも見えなくなるほどの眩しい光が僕を包んだ。それは冷たくもあって、優しくもある様な暖かい光だった。
ピピピピピピッ、ピピピピピピッーーー。
頭の上で目覚ましが鳴る音が聞こえる。
「ん、…んーー」
僕は目覚まし時計を止めて、起き上がった。その部屋は前と変わらず、殺風景な寂しい部屋だった。今日の日付を確認する。その瞬間、僕は自分の目を疑った。そこにはーーーーーー、
20××年 2月12日
と、記されていたからだ。それは雪希ちゃんが事故に合って死ぬ前のちょうど2日前を示していたーーーーーー。
私の世界はいつも、雨模様
空を見上げると、青空は広がっていなかった。
地面を見ると、激しい雨が打ちつけていた。
耳を澄ましてみれば、何も聞こえなかった。
辺りを見回してみたが、誰もいなかった。
ひとりぼっちだ……。
光のささない世界で一人ぼっちだ。
でも、私はここに光がさすことを知っている。
空を見上げると、厚い雨雲は広がっておらず、真っ青な澄んだ青空が広がっていた。
地面を見ると、太陽の眩い光が水溜りを反射してキラキラと輝いていた。
耳を澄ましてみれば、私を中心に幸せな声が広がっていた。
辺りを見回すと、一人ではなかった。
雨が降り止むのを待っていたように、空が青空になった時、色んな人たちが外に顔を出した。
どんな世界にも必ず終わりは来る。
どんなに空に光がなくとも、必ず太陽は顔を出す。
雨が打ちつけていた地面にも、それによって水溜りができ、太陽の光を反射して輝きだす。
耳を澄ませても何も聞こえない世界なんて、きっとどこにもない。
辺りを見回しても、きっと誰かが居てくれている。
マイナスな世界に縮こまっていても、意味がない。
ひとりぼっちで寂しいと感じた時は、人が沢山いるところに行けばいい。
私たちがこの地球に生まれてきた意味、生きている意味って何?
そんなことを言われても、何も言えない。
だけどこれだけは言える。
「生きる意味って考えてみても何にも思いつかない。考えて、考えて……それでもきっと答えは曖昧だと思う。だから人生の中で自分がこの地球に生まれた意味、生きている意味を探していけばいい」
だって人生は、私にとって''生きる意味''っていうのを探していくためにあるものだから。