過去はいつでも透明色の色彩のよう(第二話つづき)
「あ、ねえ!」
「なに?」
椿という彼女がまた話題を振ってきた。
「あなたは今日学校なのに、なぜこんな列車に乗っているの?」
「………」
俺が一瞬黙ったせいか、彼女は「あ、気にしないで!別に知りたいな~って思ってただけだから!」なんてことを言っている。
本当に気が早い。
しかも初対面の男にこんな風にもう馴染んでいる。
普通は不安になるだろ。
さっきまで俺に恐る恐る語りかけていたのに今ではこんな調子……。
「……家出」
「ん?何?聞こえなかった」
俺の声が小さすぎたのか列車の走る音にかき消されてしまった。
「家出した」
「……⁉」
「耐えきれなくなった、親も学校も友達関係も」
そう言ったところで、俺は言葉に詰まってそれ以上何も言えなくなった。
「そう…」
そんな俺に気づいた彼女はそれしか言わなかった。
どうして?だとかそんなに辛い思いをしているんだねとも言ってこなかった。
でも俺はその二文字だけで体中が安心感を覚えた。
人の心を傷つけるのは関心がなさそうな言葉じゃない。「どうして?」とか自分ではよくわからないくせに人はすぐに土足で人の心に入り込んでくる。
そんな人間が俺はたまらなく嫌いだ。
列車が駅に到着する。
彼女が降りる駅だ。
「いつか学校には来るでしょ?また会えるかもね」
そう言って彼女は列車から降りる人達に紛れて、消えた。
気持ちが楽になった気がする。こんなにもすっきりとした気分は久しぶりだ。
そうして俺が彼女がすわっていたところに目を向けるとそこに一枚の紙きれがポツンと置いてあった。
過去はいつでも透明色の色彩のよう(第二話つづき)
ガタンゴトンガタンゴトン……
列車が来る音。人の雑音。改札機を通る音。
列車が停車し、ゾロゾロと人が入って行く。
俺もその人達に紛れて、列車に入った。
座る席を見つけて窓側に座った。
「はぁ」
外は真っ青な空に緑が輝いていた。
ああ、息ができる。
やっと自由を見つけた。
「あの……ここ、大丈夫でしょうか?」
ゆっくりと外を見ていた時、俺と同い年そうな女の子が遠慮がちに声をかけてきた。
「っ……」
まずい、声が出せない‼︎
「大丈夫かどうかなんて、自分で考えて」
俺は今ひどいことを言っている。
「そ、そう、、ですか…」
しばし俺と彼女との間に沈黙が流れた。
本当はこんな雰囲気にしたかったわけじゃない。
「ごめん。俺、全部がどうでもよくて自分では考えられなくなったんだ」
「……」
「だから…その…っ」
「座っていいってことですか?」
彼女はそう言って俺の向かい側の席に腰を下ろした。
「ほんとにごめん…」
会話はそこで途切れ、また沈黙が続く。
俺は外をまた眺めてぼんやりとした気持ちになった。
これからどうしていこう。
俺が言った通り、どっかのばあちゃんの家に移住させてもらえることなんて早々ないし、かと言って一人でやっていけるかも…。
……馬鹿だな俺。何も考えないで家出なんかして。
「ねえ、あなた高校生?」
突然彼女が俺に話しかけてきた。
これは聞かれているから、言えと言われているようなものだ。
だから言葉も口からすらりと出た。
「ああ。青葉高校2年」
「え‼嘘でしょ⁉私も青葉高校よ。3年なの」
「⁉」
同じ高校?ということは彼女もきっと俺が学校で浮いてるってこと知ってるのかな?
「ねえ名前は?」
「神吉(かんき)玲央」
「私は奈良椿」
「つばき…」
「うん、素敵な名前でしょ」
こんなにも心が軽やかになったことはすみれが死んでしまってから一度もなかった。
でも今はどこか楽しんでいる自分がいた。
過去はいつでも透明色の色彩のよう(第2話)
第二話
「玲央。ご飯を食べなさい」
母さんが俺に優しい声をかけてくる。
その顔には深い悲しみの色があった。
「うん……」
俺は言われるまで行動が出来ないから、母さんも絶対にうんざりしている。
それとも心配をかけていたりするのか?
父さんは俺が行動しないたび、何でもいい、父さんが決めてというたびに
ため息をついていつも俺から離れていく。
きっと嫌われた。
別にそんなこともどうでもいい。
料理の味がしない、息ができない、この空間がつらい。
出ていきたい、今すぐに。こんな家なんか出て行って、すみれに一番近いところへ行きたい。
きっと母さんは悲しむ。
仕事から帰ってきたときに俺がいないことに気づき、俺が家出したことに気づき……。
俺はゆっくりとリュックをからった。
どこかの田舎へ行こう。
緑に囲まれて、俺を知っている人のいない場所へ行こう。
そんでどっかの優しいばあちゃんの家にでも移住させてもらおう。
金は小さいころから一回も使ったことのない小遣いがやばいほどにあるから心配はない。
俺は階段を下り、そっと玄関まで来るとばったりと父さんと出くわした。
「!」
「……」
俺は父さんの視線を感じながら靴を履きドアを開けた。
止められることはなかった。
父さんも気づいていたはず。息子がでかいバッグをしょって玄関のドアを開けて、もう二度と帰っては来ないことに。
「玲央。行くな」
だがその声は俺の耳に届くことはなく、ドアが閉まる音とともに消えていった。
過去はいつでも透明色の色彩のよう(第1話つづき)
彼女はまだ幼い三歳の娘を見つめながら、この静かな家族の時間も娘が生きていてくれることも、その時までは全てが幸せに思えた。
そう。
その時までは……
❀❀❀ ❀❀❀ ❀❀❀
彼女が今の俺を見たらどんな顔をするのだろうか。
どんな風に思うのだろうか。
きっと失望する。絶望する。
君がいなくなってしまった世界に生きる意味なんてなかった。
全てがどうでもよくなって、ある日俺の心の糸がプツン……
自分の意見が言えなくなった。
自分で考えることができなくなった。
それはたぶん全てがどうでもいいからだと思う。
もしもまた彼女に会えたとするのなら、変わりたいと思っただろう。
だが彼女もいないこの世界の俺は自分の殻に閉じこもって、出てこないあさりのようなどうでもいい存在。
俺がこうなってしまって親も家族も先生も学校も俺によそよそしい態度をとった。
「玲央。自分の意見をしっかり言いなさい‼なぜ箸を持たない?なぜ何を聞いても父さんが決めてと言う?」
「玲央はあの子がいなくなってしまってから変わった。あの子のことがそんなに大切だったのか?」
大切だったよ。お互いを好きになり、相思相愛の関係を築けたんだから。
でも彼女は体が弱かった。
一年生存率、30%。
余命4か月。
こう宣言されたとき彼女がどれだけの恐怖と不安で飲み込まれていたのかは俺には分からなかった。
だから間違いを犯した。
いつもこの真実から顔を背け、せめて彼女が生きていた時、彼女にとって幸せなことをしてやれていただろうか。
ちゃんと彼女を心の恐怖や不安から救ってやることはできたのだろうか。
「ああ。すみれは大切だった。俺の恋人だったんだ」
そういうと父さんは俺をじっと見つめた。
たぶん全てがどうでもいい俺が、すみれのことに関しては思っていることを口にだしたからなのだろう。
❀❀❀ ❀❀❀ ❀❀❀
ねえ。気づいてる?
たぶん気づいてないよね。
私はあなたのそばにいつもいるよ。
だから元気を出して。
本当は姿を現してあなたのことを力いっぱい抱きしめたい。
元気を出してねって…安心してねって…
でもそんなことは叶わない。
過去はいつでも透明色の色彩のよう(第1話)
第一話
もしも、もう変えられないものがあるとして、そうしたらあなたは過去に戻ってやり直したいと思いますか。
もしも、もう取り戻せないものがあるとして、そうしたらあなたはその背中を、その手を掴むことができますか。
もしも、もうどうにもならないことがどうにかなったとしたら、もしも、過去に戻れるとしたら私はきっとやり直すことを選んだでしょう。
大切な人を、大切な誰かを、私はこの手で守りぬくことができなかった。
この手で彼を傷つけてしまった。
あの背中が震えていたことに気づいてあげられなかった。
抱きしめてあげられなかった。
それはきっとあと数か月したら死んでしまうこの弱った体のせいだ。
この細い腕に、この細い足に、この小さな体に大きな背丈の体のあなたを抱きしめる
ことができなかった。
神様......
私はあなたを信じたことは一度もないけれど、お願いです。
私のいなくなった世界でも、彼が笑顔でいられますように。幸せになれますように。
私はいつかの場所でそう神様に語りかけた。
❀❀❀ ❀❀❀ ❀❀❀
「ママ、あれは何?」
「ん?ああ、あれはね。ちょうちょうって言うんだよ」
「ちょうちょ?」
「うん、そう」
彼女は優しい顔で愛しい娘にそう教えた。
今日は二人で散歩でもしていた時に、蝶々が娘の前を通り過ぎた。
「きれいだね」
娘がかわいらしい顔をしてそう言った。
「うん。でもママはすみれのことが一番綺麗だと思っているよ」
「ねえ、すみれ」
「なあに」
「ママがすみれっていう名前を付けたのはね。すみれが心の綺麗な女の子に育ってくれますように。誰かを守れるくらいの丈夫で健康な体でいられますようにってパパと考えたんだよ」
「ふうん」
3歳の娘にはまだ難しいようだ。
そんな娘を見つめながら、彼女はふっと小さく笑った。